頭がこんがらがっている

※政治的な内容を含みます。

書きたい記事はたくさんあるもののWebそのものの制作を進めたい気持ちがありなかなか手をつけられない。だが、今回の記事は思っているうちに書くべきだろうと思って、筆を取っている。

先々週の日曜日、ベルリンでのFontstand Conferenceの次の日、風邪っぽい体調の崩し方をした。喉の痛みと鼻炎、腸。風邪だろうとは思ったが、夜の飛行機で帰る予定だったのもありホテルをチェックアウトしていて、一日休んでいるわけにもいかず、もともと予定していたベルリンから1時間ほど離れたポツダムの観光を、小雨の降る中敢行した。サンスーシ宮殿はこぢんまりとしていつつも美しく、新宮殿の方は荘厳で広々としていて、時間が止まったような空気感に息を呑んだ。

サンスーシ宮殿の一部屋の天井。細かいロココ様式が美しい

サンスーシ宮殿の外観。サンスーシはsans souci, フランス語で憂いなしという意味らしい。サンセリフと同じ感じ

新宮殿の内観。こちらは逆に広々として天井も高く、息が詰まるような緊張感があった

新宮殿の外観。工事中の場所もあった。でかい

遅い時間の飛行機だったこともありその後深夜にパリの自宅に着いてから、案の定月曜と火曜はかなり体調を崩しており、まあ風邪なら二日ほどで治るだろうと思っていたが、水曜、木曜となっても全快とは言えない体調だった。朝起きると喉に違和感があり、鼻は詰まっており、少しの頭痛を感じていて、気だるい。机に向かうも、どうも気だるくて何も進まない。木曜あたりに、何かを考えようと思っても深いところまでいけず、何かこんがらがったような感覚があってふと気づいた。これはいわゆるブレインフォグというやつで、2022年にイギリス渡航後ぶりに、COVIDにかかっているのではないかと。あの時も最初は強い喉の痛みから始まっていたし、症状はかなり長引いていた。共通点が多い。

まあ実際のところどうかはわからないのだが、一週間と少し経った今も、多少症状は軽くなったものの全快とはいえない状況だ。頭もこんがらがっている。どこか抑うつ的な気持ちでいる。ただ、これがブレインフォグの影響なのか、昨今の考えさせられる色々にことによるものなのかはわからない。日本の政治と経済。AIの発展。自分のキャリアと今後の方針。作字の定義(は、まあそんな考えてないか)。

AIに関しては後戻りができないものではあるし、ただ自分がノレていないだけだと思うけれど、一番憂鬱な気持ちにさせられるのはやはり政治だ。自分は特に意識的にニュースを拾いにいっているわけではないし、投票はすれど政治参加に積極的とも言えないだろう。しかしながら、Twitterなんかを眺めていると日々流れてくる情報が目に入る。

留学した頃から、特にフランスに移り住んだ頃から、日本が、自分の知らない国に変わっていっている。帰国するたびにいつの間にか東京が、日本が自分の住んでいた頃とは違うのだと感じさせられる。去年の秋頃はまだ日本に戻るのも選択肢だと考えていたが、今年の初めから今まで続く動向によって、日本は完全に戻りたい国ではなくなってしまった。「日本脱出しといてよかった〜!」と、日本に対しての思い入れや愛がなく、自分本位ならば言えるかもしれない。しかし、あいにく自分はそうではない。僕の家族や友人のほとんどは日本にいるし、いつかは日本に戻りたいと思っている。そして、日本のいくつかの点は好きだ。

そして驚いているのは、日々信じられないようなことが起こり、決まっていっている中で、(もちろん何人かは声をあげたり、行動に起こしているのだが)大部分が何も変わらない日常を過ごしているように見えることだ。自分が時差8時間という距離からニュースを受け取って落ち込んでいるのにも関わらず。自分がもし日本にいたら狂ってしまうのではないかと思う。もちろん、SNSが「表」として扱われる昨今では――これももはや日本の「悪徳」な習慣と言えるかもしれないが――政治的な意見を言いづらかったり、あるいは現実の人間関係の中で発散しているのかもしれない。もしくはあまりに忙しくてニュースが目に入っていないのかもしれない。触れない人全てを悪とは言えないけれど。

諦観の感情もあるだろう。どこか諦めたり、まあ流石に行くところまでは行かずに、どこかで一線を越えても持ち直せるだろうという気持ちもあるかもしれない。だが、特にここ最近では、希望的観測は悉く打ち砕かれ、とっくに超えてはいけないところを超えてしまったように思える。

おわりに

この記事をがどう受け止められるのかどういった反応をされるのかは自分にはわからない。そっと距離を取ったり、フォローを解除する人もいるかもしれない。でも、僕はこの気持ちに共鳴してくれる人と話したいと思っている。

昔は無邪気に世界は少しずつでも良い方向に向かっていると信じていたが、どうやらそうではないようだ。それでも明日が今日よりも少しでもいい世界になることを願う。

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